qoopiiの朝

アリときどきキリギリス生活から次のステージへ

娘としての義務だが


休日、母を買い物に連れていく。

ひとつの店で完結してくれればいいのだが、あれがない、あれを買う、と、こちらの気力労力が倍になる。

買うものがわかるので、サッサと手にしてレジに向かおうとしても、自分の目で足で店内を見たいのだろう。

ついてあるく。それが煩わしい。イライラする。


何十分かかるでもなし、付き添ってやればいいものを、いつもひとりでサッと買い物を済ませる私にはそれが苦行。ここに娘がいれば娘におまかせで気は楽。

自分って、単なるせっかち?単にやさしさが足りない?買い物習慣の違いもあるが、両方だ。


今は我慢するようになったが、だらだら買い物に時間をかける母に、堪忍袋の緒が切れて何度文句を言い車の中で口論になったことか。自分では我慢の限界を超えての「あなたの買い物についてあるくのは苦痛だ」の心の叫び。

それに対して、逆ギレされるパターン。


母には買い物自体がレジャーなんだろうと思う。

介護の人に買い物の付き添いを頼みたい。本気で。

たまに、二男に付き添いを頼む。

それはそれでわるくない。


母と二人で出歩くとそれぞれの価値観もあまりにかけはなれているので会話も弾まないし、最低限応じるだけ。それも絞り出すような精一杯の受け答え。

相手は高齢者、いずれ自分もそうなると思えばもっとやさしく対応できそうなものだが、できない。

できていれば、今頃別々に暮らしてはいないけど。とにかく、距離を置きたい、そうでないと自分がつぶれる。


若い頃、家にいるのが苦痛で結婚に逃げて結果自分はひとりが向いているとわかる。当時、自立して一人暮らしなんて、100%無理な話だった。

もう10年遅く生まれていたら可能だったかも。

たったひとつ、よかったことはわが子と出会えたこと。

母親に対してやさしさの限界が低い自分は冷たい人間かもしれない。

いつか、それが自分に返ってくることがあるだろうか。

少なくとも母が私に期待したことを私は子どもに期待しなかったが。